池原一哉(Kazuya IKEHARA)
博士論文

博士学位論文

「評価可能な対象のみを評定する一対比較モデルの開発と応用に関する研究」

一対比較法(paired comparison)は,複数の対象から2つずつを取り出してペアを作り,各ペアに対する比較データを統合して最終的にすべての対象を評価する方法であり,価値や態度,嗜好度などの心理量を測定する目的で利用される。心理学や官能検査,マーケティング・サイエンスや消費者行動など幅広い分野で利用されており,Thurstone法やScheffe法,Bradley&Terry法など様々な手法が提案されている。

一対比較法の大きな特徴の1つは,判断がやさしいということである。そのため,個々の対象に対して絶対評価を行うよりも,結果が安定し信頼度の高いデータを得ることができる。しかし一方で,対象の数が増えると比較対数が急増し,評価者の回答の負担が大きくなってしまう可能性がある。また,評価者が対象そのものを知らないと,そもそも評価できないという欠点を有する。そこで,本研究では,評価可能な対象のみを評定した場合に適用可能なScheffe型一対比較モデルの開発と応用について検討を行った。第1章では,これまでの一対比較法の歴史について概観し,特徴や問題点を整理した上で,本研究の目的と構成について言及した。

第2章から第4章までは,提案モデルの開発にかかわる部分である。第2章では,多母集団解析を利用して異なる群に含まれる対象間の比較が可能となる尺度の構成方法について議論した。尺度構成の1例として,ポジショニング分析を取り上げ,多母集団解析を用いることで評価者の回答の負担を軽減でき,かつ,多数の対象を同一尺度上で比較できることが示された。

第3章では,一対比較法を応用するAHPモデルについて説明した。一対比較法は,ある1つの観点に関して対象の比較判断を行うが,AHPモデルは,複数の観点から評価することで対象の特性を多角的に考察し,また総合的な評価を行うことができる。第5章および第6章の応用研究においてAHPモデルが利用される。

第2章の多母集団解析を利用する方法では,すべての評価者が共通の対象を知らなければ適用することができない。そこで,第4章では,評価者が評定可能な対象のみの比較判断を行った場合に適用できる一対比較モデルを提案した。また,母数の推定にはマルコフ連鎖モンテカルロ法によるベイズ推定を用いるため,事前分布と尤度から母数に関する完全条件付き事後分布を導出し,ギブスサンプラーのアルゴリズムを示した。

第5章から第7章は,第4章で提案したモデルの応用研究である。応用研究の1つ目として,授業評価場面を取り上げた。授業評価調査では,授業ごとに評価を行う学生が同一でないことが一般的であるため,従来の評定尺度法を用いたアンケート調査結果を用いて,評価項目に関して教員間の比較,あるいは学科・学部平均との比較を行うことはできない。また,学生の評価は信用できないといった否定的な見解もあり,学生だけでなく教員の意見も考慮して,多角的な視点で授業の評価を捉える必要がある。そこで,学生間で評価する授業が同一でない状況に適用でき,学生の評価の厳しさの差の影響を取り除いて授業間の相対的な比較を可能にする授業評価モデルを提案した。また,AHPモデルを利用し,学生と教員のそれぞれの視点での授業の総合評価も算出し,比較・検討を行った。

続く第6章では,ブランド評価場面に注目し,評価者の知名集合(消費者が知っているブランドの集合)を考慮したブランド評価モデルの提案を行った。第5章と同様に,複数の観点からブランド評価を行うためにAHPモデルを用いるが,従来利用されている加重平均ではなく,因子分析モデルにより総合評価を導出する方法を提案した。適用例より,合計で30ブランドを相対的に比較することが可能となり,また,個々のブランドに対して特徴ある評価傾向を持つ学生を,魅力度の個人差の推定結果より特定することができた。

近年,推薦システムに関する研究が盛んに行われており,そのうちの1つである協調フィルタリング手法は,評価者iと評価傾向が類似している別の評価者i’を見つけ,その評価者i’が好むものを推薦する手法である。第7章では,この手法のアイディアを第4章で提案したモデルに導入し,評価者間の類似度(相関係数)を利用することで各評価者のすべての対象に対する嗜好度を推測する方法を提案した。シミュレーション研究より母数推定を適切に行えることが示され,また,映画評価分析より,評価者間の類似度を利用することで,未知の対象に対する嗜好度を推測できることが示唆された。

第8章では,一対比較モデルの開発および応用研究に関して総合考察を行った。提案した評価可能な対象のみを評定する一対比較モデルは,評価者の対象に対する認知を考慮した上で,対象に対する尺度を構成することができ,また,個人差の分析にも有益であることが示された。本研究では,授業評価,ブランド評価,映画評価の3つの応用研究を示したが,この他にも,人事の評価やプロジェクトの選定,商品・サービスの嗜好評価など,評価者がすべての対象に対して十分な知識を持っておらず,評価できる対象が評価者間で同一でない場面において,提案モデルは有効に機能する。

k.ikehara[アットマーク]ruri.waseda.jp
Last update: 20130423