鈴木綾子(Ayako SUZUKI) |
博士論文 |
博士学位論文 |
「心理学的ストレスプロセスと時間外労働、疾病休業との関連性の研究」 -行動計量学的アプローチによるモデルの検討- |
疫学的調査を主な方法論とする職業性ストレス研究では、客観的に同定可能な指標が用いられていることが特徴のひとつであるのに対し、心理学的ストレスモデルは主として個人の内的プロセスに着目している。前者の主なメリットは、客観的データとして第三者への説明が可能である点、値に対する意味について個人差を考慮することなく解釈が可能である点にある。後者の主なメリットは、個人の内的プロセスへの臨床的介入によってストレス反応の低減が可能となる点にある。 本論文は、以上の職業性ストレス研究で扱われてきた指標(ここでは長時間労働と疾病休業)と、心理学的ストレスモデルにおける要因との関連性を検討し、職業性ストレス研究に心理学的ストレスモデルを組み込むことの有用性を示した。また、心理学的ストレスモデルの要因としては、インプットとアウトプット部分に相当するストレッサー、心理的ストレス反応を用いているが、特に後者の心理的ストレス反応の性質に関する詳細な検討は数少ないことから、心理的ストレス反応の性質を併せて検討している。 第1章から第4章では、研究史として、心理学的ストレスモデルの特徴と意義、心理的ストレス反応で扱われる感情に関する研究の動向、職業性ストレスモデルの特徴、ストレス反応の性差について述べた。第5章では、以上を踏まえた問題提起を行った。 第6章から第8章では、時間外労働とストレッサー、心理的ストレス反応の関連性の検討を行った。第6章では、時間外労働とストレッサー、心理的ストレス反応の構造方程式モデリングによる因果モデルについて、適合度指標等より最適なモデルを特定した。第7章では、これらの変数の男女間の得点差について検討し、効果量による差異を明らかにした。第8章では、第6章、第7章の結果を踏まえ、最適モデルによる性差を検討するため、構造方程式モデリングによる多母集団解析を行い、因子の平均・共分散構造を導入した。 時間外労働を環境からの要請のひとつとして捉えると、「環境からの要請」を経て「ストレッサー」が生起し、「心理的ストレス反応」に至るプロセスが確認された。これらの変数の得点には性差が認められ、性差を導入したモデルの適合度が高いことが明らかとなった。ストレッサーから心理的ストレス反応への影響力の大きさは、全体的には男女で顕著な差異は認められなかった。ストレッサーの影響力を同一にした場合では、心理的ストレス反応の得点差に男女で差異は認められないものの、「疲労感」のみ女性は男性より得点が高いことが示された。 第9章から第10章では、心理的ストレス反応の下位尺度の表出過程の検討を行った。第9章では、心理的ストレス反応の下位尺度の表出過程を検討するため、項目反応理論によるテスト特性曲線を下位尺度ごとに描き、その差異を検討した。なお、心理的ストレス反応は、ストレッサーへの対処が適切になされなかった場合、生体が表出する感情であることから、対象者の所属する社会環境要因には依存しにくく、ある程度共通した反応となることが想定される。そのため、本検討では、対象者を大学生、企業従業員の双方として、併せて対象者による差異についても検討することとした。第10章では、心理的ストレス反応の下位尺度の表出過程について、性差を検討した。ここでは、構造方程式モデリングの多母集団解析による平均・共分散構造を用いた。高次因子分析を用いてモデルを表現することにより、下位尺度としての1次因子と、基本となる構成概念(心理的ストレス反応)としての2次因子とのパス係数の比較によって、下位尺度の識別力の差異の検討を可能とした。さらに、パス係数に差異が認められなかった場合、因子平均の比較によって下位尺度の困難度の差異について検討することとした。 第9章より、企業従業員では心理的ストレス反応の下位尺度である「疲労感」、「身体の不調感」、「憂うつ感」の識別力が相対的に高いこと、これらは大学生とほぼ同様(「疲労」のみ、大学生では識別力が低い)であることが示された。第10章より、各下位尺度の識別力、困難度は男女間でほぼ同程度であることが示された。ただし、「疲労感」のみ、男性より女性の困難度が低いことが示された。 第11章から第13章では、時間外労働、ストレッサー、心理的ストレス反応、疾病休業との関連性の検討を行った。第11章では、疾病休業の取得率について、性差を検討するため、対数線形モデルによる検討を行った。第12章では、時間外労働、ストレッサー、心理的ストレス反応、疾病休業の有無を検討することを目的として、基準変数を疾病休業取得の有無とする分析を行った。第13章では、第12章と同様の変数の関連性について、基準変数を疾病休業取得の日数とする分析を行った。データは過剰分散が生じ、当該の先行研究で一般に適用されるポアソン分布の仮定を満たさなかったため、ゼロ過剰計測ポアソン回帰分析をマルコフ連鎖モンテカルロ法により適用した。 第11章より、体調不良による有給休暇取得の有無の割合は、男性より女性で高い傾向にあることが示された。海外の先行研究(大規模コホート研究)でも、同様の傾向が示されている。第12章、第13章より、疾病休業取得は、時間外労働、ストレッサーからの影響力は認められず、心理的ストレス反応からの影響力のみが確認された。疾病休業取得の有無は、「憂うつ感」、「身体の不調感」からの影響力が示され、疾病休業取得の日数の場合はこれらに加え、「疲労感」からの影響力が示された。すなわち、心理的ストレス反応として識別力の高い下位尺度が、その後の疾病休業取得を予測する可能性が示唆された。第14章から第16章では全研究を通しての総合的考察を行い、第17章では本研究の限界と今後の課題を示した。 第14章では、本論文で検討した変数の関連性について、以下の3点を指摘した。 1.時間外労働という「環境からの要請」は、直接的に心理的ストレス反応を高める力は認められず、ストレッサーと関連して心理的ストレス反応を上昇させる。 2.疾病休業取得については、時間外労働やストレッサーからの直接的影響力は認められず、時間外労働やストレッサーによって上昇した心理的ストレス反応によってその取得が増大する。 3.心理的ストレスプロセスのインプットとアウトプットとして位置づけられる時間外労働、疾病休業の間に、心理的ストレスモデルの存在を仮定する必要性を示唆している。 第15章では、性差について、以下の1点を指摘した。 1.心理的ストレス反応の疲労感、疾病休業取得率は、男性より女性で高い。 第16章では、本研究の臨床心理学的意義として、以下の3点を指摘した。 1.「環境からの要請」と疾病休業というアウトカムの間に、心理学的ストレスプロセスの介在が示唆され、アウトカムの発生を予防するために心理学的な臨床的介入が有効性を発揮することが示された。 2.有給休暇による疾病休業に焦点を当てた介入を行う場合、心理的ストレス反応の中でも「身体の不調感」、「憂うつ感」を重視することが望ましいという知見が得られた。 3.有給休暇による疾病休業に焦点を当てた介入を行う場合、男女ともに同じ心理的ストレス反応の基準値を用いることが理想的である。
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Last update: 20100401 |